真面目に言葉(文書)にする作業はお仕事みたいなので適当に行きます。
「暗黙知の言語化」とか見える化とか最近仕事でよく聞くもんで、
そして、その作業はお仕事の大部分を占めていて、
何だか仕事みたいになるのが嫌なのです。
しょうがない、ビジネスも学問も芸術も同じ物を求めるのだな、と。
あ、「学問と芸術」は別でいいのかな、ここでいう学問は、
自身が学生時代にやってたやつのことです。
話がそれていくのでやめ。
タマヲナゲルの感想です。
開演前に椅子に座って、
どんなものか分からず来たので、
僕は何しに来たのだろう?状態でした。
博物館の企画展のように何かを見に行くでもない、
何を見たらいいのか分からないので、次に何をするのか予想するゲームしてみる。
現場の要素は限定的なので案外当たるかもな。
自分だったら何をしてやろうか、何をさせようか。
ヒト一人と何かゴミみたいなビニールと絵とかを置く木のやつしかないからな。。
想像と理解の範疇の外側でした、完全に。
何を想像したかとか、実際どうだったとかは、大したことないので割愛。
うん、すごくスローな動きと少ない声言葉でした←感想ではなくタダのネタバレ?
始めに動く人が登場して、ほぼ無言で動き回る。
その動きで何を理解したらいいか分からなくて、うーむとなっていたら、
語る人が出てきて、言葉という分かりやすいものにちょっと安心したりした。
でも、そんな簡単に言葉に頼ってしまうことが怖いなとも思う。
体全体、五感全部で何かを感じて生きていきたいのに、
言葉?言語?はたやすく感じることを支配する。
何か話が大きくなった、やめ。
と言っても、実際は語る人が何を言ってるかもほとんど理解できてなかったわけで、
知ってる言葉が聞こえるというだけ。それだけなのに。
動く人と語る人とコメントする人という三つが登場するんだけど、
それらの要素を均等に受け止めて、バランス良く総合的に捉えてみたい、
というよく分からん固執があったんだけどなかなかさせてもらえない
以上、でいいですか。
こうゆうことを簡潔に「よく分からなかった」と言う。
でも一言で終わらずに、70行分の爪跡があったのを気付かせてくれたのは、和田さんだ。
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